重なる記憶NO.2・・・・

昨日60代の男性の方と、長島の水田に水がはられ田植えの準備が始まった話をしていた。
「中学生時代の記憶」と前置きをされながら、
震災の農地の状況は、伊勢湾台風時よりひどい。あまりにも「ゴミやガレキ」が多い。今回の震災の農地被害額は・・・、
伊勢湾台風後2年ほど稲作ができなかった。その間の収入は、堤防他の復旧工事で「ひよかた」(日雇い土木作業員)他でまかなった。
農地復旧後も数年間は十分に稲が実らず長さも2/3程度で食べる分の米しかできなかった。
深井戸(六十間:約100m)が完成してから、ようやく米も実るようになった。
・・・・・と続いた。
震災と伊勢湾台風の記憶は重なるのだろう。
長島の農業用水は、今では先人の尽力・負担により木曽川下流から30キロ地点の木曽川大堰馬飼頭首工から来ている。
水田にあるバルブをひねれば、農業用水は出てくる。
用水と長島町内に張り巡らされた排水路と14機の排水機による排水のバランスで豊かな実りが保たれている。
被災地の農地が豊かな実りを戻すのはいつの日か?
米どころ東北の復活を祈りたい。

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