上げた拳×全能の切り札

おはようございます。
昨日6/6の伊勢新聞の記事を下記にそのまま掲載。
知事選後、1ヵ月半。
県政関係者には、何だったのか。
上げた拳を下ろした先は、私が最近ブログに記した内容とほぼ同じ。
改革に経費は必要だが、実務的にスピードをもって改革しなければつまらない経費が山となる。
「苦渋の決断」
■作り込み
 鈴木知事は三日、開会した県議会六月会議の冒頭、総額約三百十三億三千九百万円の六月補正予算案の提案説明中、今後の県政運営について所信表明した。新県立博物館では、「これまでの経緯を踏まえつつ、検証を進めてきました。その結果、一定の前提のもと、基本的には整備の方向で進めることが妥当であると確認するに至りました」と述べた。
 散会後の全員協議会では、「一定の前提」について説明。開館後の施設運営費、年額約四億五千万円の二割削減を打ち出した。削減は、収入増を図るなどの収支含みの二割圧縮であることを明かした。第一会派の新政みえ(舟橋裕幸代表、二十四人)から五人、第二会派の自民みらい(前野和美団長、二十一人)から二人の計七人の県議が質疑したが、知事の決断を評価する意見が多かった。ただ、新政からは二割削減を落とし込んだ、新たな経営計画の議会への提出や、収入増を安易な入場料の値上げに結び付けないようになどの注文が付いた。
 知事は建設続行に至った理由として、東日本大震災の被災地視察で、文化や歴史資料が一瞬にして失われた点を挙げ、関係施設の整備が必要とした。県職員の給与削減同様、またもや「全能の切り札」、大震災のカードを切った格好となった。
 また、一部展示コーナーを企業に任せるなど、運営面での作り込みがまだまだ効く余地があり、より魅力あるものに作り替えていけると、自信のほどを示した。恒例の夕刻のぶら下がり会見では、「オープンした時は、当初構想とかなり違ったものになるはず」と補足し、作り込み次第で鈴木色を打ち出せる可能性を示唆した。
■「上げた拳」
 鈴木知事が就任後、事務方に求めたのは仮に建設続行するにしても、その理由付けの論理構築だった。知事に投票した支持者の中には新博物館反対派もおり、続行を打ち出した場合、説明責任を果たさなければならなかったからだ。知事が憂慮したのも、この点だった。
 また、中止した場合の損失金も課題だった。先の全協で、違約金など損失額はとの質問に対し、知事は業者への支払いが約二十二億円、民間への収蔵委託費が年一億二千万円、用地費が二十二億五千万円などを上げ、総額四、五十億円になることを示唆した。
 これらは見直し方針を打ち出した時から分かっていたことだが、仮に中止した場合、百二十億円の四割近くが無駄金になる点も、判断材料となった。中止しても、総事業費の百二十億円が全額県の金庫へ戻るわけではなく、着工している工事請負業者への違約金や用地費など、これまでの支出を間引かなければならない。しかも、施設は建たずに、一部とはいえ、公金だけ垂れ流したとなると、別の新たな批判も起きかねない。
 「中止ありきではない」としながらも、再検討を言い出したこと自体、妥当かどうか疑わしい。先月末の県議会代表者会議で、「議会への説明がない」「議決した意味が分かっていないのではないか」など、一部の会派長からの不満の声に対し、例のぶら下がり会見で、「検証はあくまでやる。ただ、検証自体が議決した議会への軽視といわれたら、どうしょうもないが」と言ったが、議決事項を覆すのは容易ではない。
 なぜなら、法制上の県民の代表はNPOでも自分の取り巻きでもなく、議員だからだ。県民の代表者が決めたことを否定するのは、県民に弓引くことになりかねない。
 ある自民県議は、「中止は行政の継続性から言っても無理だろう。選挙熱に浮かれて勢いよく言ってはみたものの、無理と分かって、上げた拳の降ろしどころを探してのこの一カ月半余の検証だったのでは」と、知事の判断前に語った。
 ■継続
 行政の継続性は、行政の命だ。トップや職員が代わるたびに事業が変更しては、行政は住民の信頼を失う。県民との信頼関係こそ、行政の要だ。もちろん、十年二十年たっても着手せず、時代も社会背景も変わっているのに、過去に決めた事業に固執する必要はない。民主党の事業仕分けを持ち出すまでもなく、県は北川、野呂両県政下の改革で、仕分けに先んじて公共事業の見直し機関を設置している。県の行政改革度は、財政力や他県への影響力からは「真ん中県」であるにもかかわらず、全国でもトップクラスだ。鈴木知事は、これらの実状をもっと把握すべきだ。
 二年前、民主党の連立政権ができた時、政権運営を進めるには衆院選でのマニフェストが足かせになりかねず、このマニフェストをどこまで捨て去るか、見直すかで決まるといわれた。知事も、選挙時の政策集に拘泥しては、民主党政権の二の舞になりかねない。

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