何も無くなったから、新しいことがあると喜びを感じる・・・・・

おはようございます。
ものもんた朝ズバ!を聞きながらブログ書き込み。
岩手県大槌町のお寺の住職さんと生インタビューの話。
住職曰く、
「何も無くなったから、新しいことがあると喜びを感じる。死亡者・行方不明者の数が報道されるが、精神的な死を感じている方も多く・・・・。」
毎日のように葬儀を行っている方からだから出てくる言葉と感じる。
昨日(26日)午後、12月市議会最終日。
TVカメラ・記者+傍聴者=25名ほど。
午前中に代表者会議・議会運営委員会が開催され、市長辞職勧告決議(案)が提出される。
本会議場で議案とするか可否の採決がされたが否決。
記憶では過去に動議で2回、提案されたが否決されている。
仮に、提出者と議論を交わしたら、
<市野>
市民病院統合も4/1に控え、解決しなければなたない課題が山積み。
民間であれば社長のいない会社は、交渉の相手としない。
統合の遅れで、「命」の問題になったら誰が責任をとるのか。
特に、小児・産科の統合の可否が大きな課題。
個別の問題で考える必要があるが、総体的な判断も必要。
<提出者>
問題を個別に考える必要がある。
判断できないトップ・行政組織だからこそ、この決議が必要。
責任は、行政の判断の遅れから生じたもの。
<市野>
議会で、統合すべきと発言しても行政は動かない。
ストーリーの構築が必要。
行政の重い腰を動かすのに、どれだけの人が考え関わってきたのか。
これ以上の市民病院の統合・地域医療の充実は遅れは許されない。
<提出者>
私は、統合すべきと発言してきた。
行政が理解しなかった。
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この議論が延々と続くと推測。
議会運営委員会は、通常、最終確認で20分ほどで終了するが、12月議場の議場内外での発言・行動に関し厳しく指摘をする意見が出され1時間の会議。
議会倫理委員会開催の話や人権問題にも発展。
議場内で発言の取り消し等で収束。
選挙で選ばれるものは、市民・関係者の意見・風を読み、自らの責任を自らが明らかにする必要がある。
再度、考えさせられた。
粛々と活動していきます。

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