59/343名の犠牲者×語り継がなければならない記憶・・・・

おはようございます。
本日(19日)の中日新聞記事。
前津市長松田氏が、維新の会から三重一区で出馬、21日記者会見予定。
民主では県内5区で候補者擁立を計画していたが困難に。
民主王国と言われる三重でも極めて厳しい。
一方、新聞一面には首相にふさわしい人物として安倍氏と野田氏の差が縮まり拮抗してきている記事。
党首討論の際の野田氏の潔さからか。
昨日(18日)は、伊曽島小での伊勢湾台風の際にアメリカ映画関係者らから贈られた「愛のピアノ」の授業の支援。
学校の先生方も当時の地形や状況を十分にご存知ではないので、黒板に掲示する資料を「当時→10年後→現在」とわかるように整理するのが私の役目。
この支援をして7年目となる。
回数を重ねるごとに「こうした方が、4年生の子ども達にわかりやすいのでは?」と考え資料も進化?する。
私は台風体験者ないので(母の胎内で4ヶ月)、ゲストティーチャーは、当時5歳で半年後に入学し愛のピアノを弾いて育ち音楽教員となった方。
学校⇔ゲストティーチャーの連絡も私の仕事。
資料を整理する中、学校で保管されてる写真内に新たな発見。
高潮被害で受け町内全域の泥水・ガレキとなった。
その中で食器を小学生2年生位の2名の女の子が、泥水で食器を洗っている写真。
前日まで資料を整理する中、学童疎開経験者の方から自衛隊の船で鳥羽で入港した際、受入先は履物も傷んでいると思われたからか?鳥羽港に入港し下船した際、新品の靴・草履が並べてあった記憶が鮮明に残っているとの話を聞かせていただいた。
伊曽島小の台風で亡くなった児童は「59/343名」。
台風で被災した学校で一番の犠牲者。
20年後には台風体験者記憶が鮮明に残り、元気に子ども達の前で体験を話せる方も激減する。
「愛のピアノ」は、桑名市内に城東・立教小にも現存する。
「語り継がなければならない記憶」として支援を続けていきたいと思う。

Follow me!