終戦の日×1945 USA ARMY

おはようございます。
昨日は「終戦の日」。
一般的に「終戦記念日」と言われるが、一連の新聞・TV報道で「記念日」と名付けられていることに何か違和感を感じる。
何百万人もの戦争犠牲者の上に今の平和がある。
ならば「終戦平和祈念日」とするのが適切ではないのか?
昨日の中日新聞「桑名空襲の特集記事」。
1キロ平方mあたりの焼夷弾や1トン爆弾投下量「711t」は日本最多の内容は以前から聞いていた。
この記事で「1945 USA ARMY」の記憶が蘇る。
20年ほど前、長良川浚渫・河口堰関連工事で伊勢大橋~JR橋周辺の川底等から「1トン爆弾」がよく発見され、半径500m(と記憶)の住民避難、道路・鉄道を通行止して自衛隊へ処理を依頼した。
葭山で発見されたものは、処理中の万一の場合に備え周囲を高さ約3mに数千個の土のうで蛸壺のように積み、川底のものは鋼矢板で囲んで常時排水しながら水面から約5mの場所で守山駐屯地武器弾薬班が信管を外す作業にあたった。
住民避難・通行止め他が完了すると、長島町から自衛隊へ信管取外しの「指揮権委譲」の言葉の後、3名ほどの自衛隊員が現地に向かい作業にあたる。
陸上から ⇒ 浸透油を注入せよ、1/8回転回せ、1/4回転回せ、
       1/2回転回せ、1回転回せ・・・・
現地から ⇒ 注入した、回らない、1/8回転回った・・・・・
とした通信のやりとりがされる。
陸上では信管が何回転で外れるか爆弾の種類で想定できることから何十にも円が書かれた記録紙に、現在何回点目か確認しながら作業が進められ、爆弾の先端と後備に信管が取り付けられていることもその処理で初めて知った。
信管が除去され長島町側も現地へ向かい目視で確認できると自衛隊から指揮権を長島町側へ戻す言葉が発せられ、避難解除他がされる。
当時、約10発こうした記録・現地確認・報道対応他を担当。
外された信管は今だにピカピカで「1945 USA ARMY」の刻印が明確にあったのを記憶している。
チョットした衝撃で信管そのものが爆発することもあるとお聞きした。
桑名空襲(終戦)後の航空写真は、桑名市博物館の階段を上がったホールにあり、よく見ると揖斐・長良川に蛸壺のような爆弾の投下跡も判別できます。

Follow me!