私たちの大切な宝もの・・・・・

おはようございます。
2年前の7月下旬、宮城県亘理町(仙台市南)で震災ボランティアをさせていただいた。
不足する資材を市民の方から提供を受け車に満載し、現地で1日床下の泥出し・清掃。
その家はどうなったのか・・・?
視察したまちの今は・・・?
常に気になり脳裏にあったので、この次期を逃すといけないと思い車で8/17(土)午後~19(月)東北へ。
18~19日、「大船渡~陸前高田~~気仙沼~南三陸~仙台市若林区(桑名市消防市職員活動)~亘理~南相馬~浪江~双葉町」と南下。
ガレキ処理場の山は小さくなり水田の中に数台の車が見られたりはしたものの、陸上の破損した船の集積場も見られずガレキ関係の処理は進んでいた。
海岸沿いの地盤沈下で1mほどかさ上げされた道路は、砕石転圧道路から舗装道路へ。
一方、集団移転地の造成と思われる場所は一部見られたが、住宅再建は全く進んでいない現状。
亘理町で入り12mの津波高を示していた破損した漁港施設は跡形もなく撤去。
そこから少し離れた場所で泥だし他をした家へ。
「ある。」
ここは近くに河川も流れてはいるが、川の曲がりもない場所で津波エネルギーが集中することなく遡上したため1階のみの浸水だった。
少しは離れた場所でエネルギーが集中する場所の被害はひどかった。
近くを散策していたら活動させていただいたお宅の方とお会いすることもできた。
謝意の言葉の後に「どうぞ中に入ってください。」と言われご好意に甘えることにした。
当時、泥出しをするため居間に穴があけてあった。
壁を一部はがし高圧洗浄器他で清掃した。
勝手口に子供たちのスキー道具他が置いてあった。
何よりも私の記憶にあったのは、
「私たちの大切な宝物(家)のために遠路お越しいただきありがとうございます。」の旨のメッセージが玄関先にあった話をさせたいただいた。
子ども3人の5人家族。
3.11当日は卒業式の日で在宅中。
潮が引きTV報道他で避難することに。
式が終了し出かけたいた子どもと避難場所は別々に。
一時避難した場所には保育園の子ども達もいた。
山の用品の入ったリュックを持っていったのでコンロで子どもたちのミルクをつくった。
自衛隊ヘリで浸水被害を受けていない避難所へ脱出し子どもたちと再会。
しばらく親戚宅へ身を寄せ仮設住宅へ入居。
1階だけの浸水被害に終わったが、移転か?この場所で再建するか?苦悩した日々。
自宅の補修も終わり仮設を出たのは今年の1月・・・他。
半時間ほどだったが、当時の自宅内の映像も見せていただき貴重な時間となった。
その後、更に南下し南相馬市~浪江町を経て双葉町まで。
パトロール中の秋田県警の応援パトカーも見かけた。
被害は受けていないが雑草が生い茂っている家もあり、南相馬市の南部から人の気配が全く感じられない。
「牛に注意」の看板や、「スクリーニング」の場所・・・他。
浪江町に入り「この先、双葉町方面、帰還困難区域につき通行証のない車両は通行できません」の看板を見て帰宅の途へ。
農地復旧は一部されていると推測するが、その光景も全く見られなかった。
国は何をしているいのか?
東電の責任は?
明日は我が身。
災害は忘れた頃にやってくる時代から、いつやってくるかわからない時代に。

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私たちの大切な宝もの・・・・・” に対して1件のコメントがあります。

  1. 亘理ボラ より:

    柘植です。
    東北への視察ご苦労様です。私も8月13,14日と亘理町へトマト採取ボラに行ってきました。2年前に行ったときとは較べものにならないくらいきれいになってました。サッシがない家はきれいに補修され、外壁もきれいになっていました。昨年3月には堤防の護岸工事は始まっていませんでしたが、今年から始まったようです。年々復興の様子を見に毎年1回は行きたいと思っています。
    (本当は向こうで知り合った仲間と飲むのが楽しみですが)

  2. 市野 より:

    コメントありがとうございます。
    途切れのない支援をされている貴殿の活動に敬意を表します。
    進まぬ復興に国は何をしているのかと怒りを感じた3日間の東北への旅・視察でした。
    今後もよろしくお願いします。
     柘植様
                      市野

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