59名のアルバム・・・・・

おはようございます。
昨日(29日)は、9年前の宮川水害。
県内市町の水道事業体は、トラックに給水タンクを積載し当番制で被災地へ向かった。
私自身も1週間後に現地へ。
現地へ行かなければ分からないこともある。
深さ20m程の谷あいの「橋」には流木・ゴミ、土砂崩れ、道路には車は通過できるが岩他が片隅に積まれたまま・・で清流「宮川」には程遠い光景。
松阪方面では、被災した親戚・知人への「水見舞い」といって「水・お茶」のペットボトルが大量購入され店頭から消えた。
水道が復旧していないので沢水を清掃に使った。
現地へ行かなければ分からないことも多い。
26日(木)、伊勢湾台風から54年。
私の知る市内3箇所の慰霊碑を回った。
自宅前・母校の伊曽島小学校は、「59/343名」の犠牲者。
東海地方を襲った台風の学校犠牲者としては最大の人数と思われる。
翌日の金曜日、「学校の犠牲者追悼式の写真はどこに?」との問い合わせに「校長室の書棚のアルバム」と応じた。
このアルバムもしばらく忘れられていたが、10年ほど前の4年生総合学習から子ども達に見られる事になり、その授業をサポートしている。
「アルバムの白黒写真が同年齢で重なるのか、子ども達の眼差しは真剣になる。」
台風から50年の式典以上に3.11東日本大震災の後は、津波と高潮は重なる記憶として地域では体験談を聞かされたことが多かった。
「真っ暗闇の濁流の中を流された」
「家ごとと流され着いた先は木曽川を越え朝には木曽岬」
「出張中に家族を亡くした」
「川岸で流木を集め家族を荼毘にふした」
10月になれば木曽三川河口で海苔の竹打ちも始まる。
近年は季節外れの台風が来ることもあり、海苔の関係者には厳しい状況になる。
「災害は忘れた頃にやって来る」から「いつやって来るかわからない」時代に変わった。
明日(10/1)は、9月市議会最終日。
是々非々、粛々と採決を。

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