一本の電話、愛のピアノ現存12台、川越中生徒に感謝

おはようございます。
昨日8/2(火)、お隣の川越中へ。
先月の28日に留守電。
「川越中2年生○○ですが、市野さんのブログを拝見しました。伊勢湾台風ゆかりの愛のピアノについてよく知ってみえるとのことで、一度話が聞きたいのですが。」
昨年、台風後に当時のアメリカの俳優・舞台人らのチャリティ義援金で贈られた47台のピアノの行先を調査したが川越中の記憶はなかった。
当時の資料には明和中とあり、調査票は伊勢方面の明和中に送っていた。
57年前の台風当時点では、川越町朝日町組合立「明和中学校」で、その後に分離した経緯があった。
川越中には現存し、生徒4名と立ち会っていただいた教頭先生に電話の御礼と調査表を間違って送った事のお詫びをした後、手持ちの資料と伊曽島小保管の資料等を持っていたのでそれらを使って1時間説明。
「市野さんは、何故、ここまで調べられたのですか?」
生徒から素朴な質問を受けた。
「皆さん。川越町内の日々の生活で海抜0m地帯や台風・豪雨等の防災を感じることはありますか。このピアノが防災や伊勢湾台風の記憶を風化させることのないように活かせればと願っている。学校は地域に欠かせない場所でともに協力をしていかなければならない。地域教材の発掘に協力をしている。」と答えた。
9月末までに昨年調査した現存する11校の資料をまとめようとしていた。
この一本の電話がなければ、忘れられたピアノになってしまった。
現存12台。
4名の生徒には感謝の一言。
昨日8/2、関東から東海を豪雨が局地的に襲った。
幸い桑名に大きな被害はなかった。
TVでは、床下浸水、土砂災害の恐れ、東海道線・関西線他も一時運休のテロップ。
8/1、明治時代に木曽三川改修で長島から多くの方が移住した北海道苫前町も時間100ミリの豪雨が襲い、河川が氾濫し、水田・畑に相当の被害が出た模様。
知人に電話したが、被害調査中とのこと。
車で移動中にラジオで聞き、苫前霧立峠付近の雨量・・・の言葉があった。
この峠は、29年前に日本最長:日本海オロロンライントライアスロン初レースの際、現地で自転車を組み立て試走した場所。
7/31(日)、長良川トライアスロンにエントリーしたが欠場。
体調不良や7月に入りあまりにも周囲でバタバタし精神的なゆとりもなく練習もできなかった。
過去、こうした時に無理に練習したりレースに出て落車して堤防下へ落ちたり、一瞬集中力がなくなり転倒したこともある。
桑名水郷花火大会の清掃後にレースだけは観戦。
人としてまだまだできていない部分がある自分にジレンマする。
全国各地を襲う局地的豪雨。
大自然の摂理を日々考える。

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