令和、恒久平和を
おはようございます。
昨日4/1(月)、新元号「令和」を発表。
「和」の言葉に恒久平和であることを願いたい。
昨年5月に故人となった母。
その兄は、飢餓島と言われた「ガダルカナル島」で戦死。
母も15歳の時、学徒動員勤労奉仕で学校から軍需工場へ徒歩で行き飛行機の翼のネジ止め・リベット打ち・磨きをしていたが名古屋空襲で工場は戦焼。
近鉄名古屋駅から三つ手前の烏森駅から徒歩10分の自宅。
当時はで田んぼが広がり周辺は攻撃の対象とならず自宅も難を逃れたが、焼夷弾が近隣に落ち砂をかけたりしていたと聞いている。
長島公民館の職員時代、高齢者学級ことぶき大学で学校訪問・高齢者と児童との懇談会を開催。
戦争の話になり「戦地で何があり何を思っていたのですかの?」の問いに「詳しくは話せない」「残酷の言葉しかない」「家族の無事のみを考えていただけ」の言葉に会場が静まりかえったことを想い出す。
平成最後まで残り4週間余。
新元号の発表で報道も一部過熱している感じがするが、粛々と日々の活動に真摯に取り組んでいきたいと思う。